しかし、彼を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである。
あなたがたはみな、キリスト・イエスにある信仰によって、神の子なのである。
すべて神の御霊に導かれている者は、すなわち、神の子である。
わたしたちが神の子と呼ばれるためには、どんなに大きな愛を父から賜わったことか、よく考えてみなさい。わたしたちは、すでに神の子なのである。世がわたしたちを知らないのは、父を知らなかったからである。
このように、あなたがたは子であるのだから、神はわたしたちの心の中に、「アバ、父よ」と呼ぶ御子の霊を送って下さったのである。
彼を信じる者は、さばかれない。信じない者は、すでにさばかれている。神のひとり子の名を信じることをしないからである。
このように、あなたがたは主キリスト・イエスを受けいれたのだから、彼にあって歩きなさい。
あなたがたを受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。わたしを受けいれる者は、わたしをおつかわしになったかたを受けいれるのである。
わが家のうちで、わが垣のうちで、 むすこにも娘にもまさる記念のしるしと名を与え、 絶えることのない、とこしえの名を与える。
しかし、これらのことを書いたのは、あなたがたがイエスは神の子キリストであると信じるためであり、また、そう信じて、イエスの名によって命を得るためである。
しかしイスラエルの人々の数は海の砂のように量ることも、数えることもできないほどになって、さきに彼らが「あなたがたは、わたしの民ではない」と言われたその所で、「あなたがたは生ける神の子である」と言われるようになる。
また、それらのものによって、尊く、大いなる約束が、わたしたちに与えられている。それは、あなたがたが、世にある欲のために滅びることを免れ、神の性質にあずかる者となるためである。
異邦人は彼の名に望みを置くであろう」。
その戒めというのは、神の子イエス・キリストの御名を信じ、わたしたちに命じられたように、互に愛し合うべきことである。
どのようにして、 あなたをわたしの子どもたちのうちに置き、 万国のうちで最も美しい嗣業である良い地を あなたに与えようかと、わたしは思っていた。 わたしはまた、あなたがわたしを「わが父」と呼び、 わたしに従って離れることはないと思っていた。
そして、イエスの名が、それを信じる信仰のゆえに、あなたがたのいま見て知っているこの人を、強くしたのであり、イエスによる信仰が、彼をあなたがた一同の前で、このとおり完全にいやしたのである。
ただ国民のためだけではなく、また散在している神の子らを一つに集めるために、死ぬことになっていると、言ったのである。
この人はあかしのためにきた。光についてあかしをし、彼によってすべての人が信じるためである。
また、だれでも、このようなひとりの幼な子を、わたしの名のゆえに受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。
過越の祭の間、イエスがエルサレムに滞在しておられたとき、多くの人々は、その行われたしるしを見て、イエスの名を信じた。
彼は自分のところにきたのに、自分の民は彼を受けいれなかった。
御霊みずから、わたしたちの霊と共に、わたしたちが神の子であることをあかしして下さる。
被造物は、実に、切なる思いで神の子たちの出現を待ち望んでいる。
愛する者たちよ。わたしたちは今や神の子である。しかし、わたしたちがどうなるのか、まだ明らかではない。彼が現れる時、わたしたちは、自分たちが彼に似るものとなることを知っている。そのまことの御姿を見るからである。
神の子と悪魔の子との区別は、これによって明らかである。すなわち、すべて義を行わない者は、神から出た者ではない。兄弟を愛さない者も、同様である。
そしてあなたの民イスラエルを永遠にあなたの民として、自分のために、定められました。主よ、あなたは彼らの神となられたのです。